李垠・李方子妃ご成婚100周年記念

2022年2月に行われた李垠・李方子妃のご成婚100周年の記念式典の様子をお伝えします。

この式を行うにあたり、一般財団法人 梨本宮記念財団 梨本隆夫代表理事より、多大なるご支援を頂きました。

梨本隆夫代表理事は、李垠殿下・李方子妃の次男である李玖殿下及び、梨本宮家前党首である梨本徳彦殿下の意志を引き継ぎ、朝鮮半島と日本が、平和な地域になることを目指して取り組んで来られました。

この場をかりて、梨本隆夫代表理事に感謝を申し上げます。

李垠殿下、李方子妃、李玖殿下の生涯を紹介させて頂ければ幸いです。

激動の中で、両国の平和を模索された御二方は、両家の懸け橋になるため、1920年4月28日にご成婚されました。

何故、それから102年目が過ぎたこの時、ご成婚を祝う記念式典を行うのに至ったのか、それは、李垠・妃方子妃が生涯を通し、目指された両国の平和と、韓半島と日本の地域の平和を実現させたいという思いがあったからです。

御二方の意志を引き継いだのは、李玖殿下です。

李玖殿下は、父親である李垠殿下が大韓帝国の皇太子である大韓帝国の皇太孫であり、母親である李方子妃の天皇家の皇族です。

李玖殿下の生涯は、両国の狭間に立って、苦難と試練の連続でした。

大日本帝国時代には、植民地統治下の大韓帝国の皇太孫として、大韓帝国の国民たちのために人生を捧げられました。しかし、大韓帝国の皇太孫として、国民のためにできることは難しく、両親を支えながら、両親が愛した両国を愛するために尽力されました。

戦後は、皇族としての立場を失い、無国籍者として、両親と共に日本で住まれました。日本と大韓民国の関係が改善される中、故郷に戻ることができ、大韓民国の国籍を得ることができましたが、既に、李垠殿下は、病魔に蝕まれており、寝たきりとなっていました。

両親と共に戻った祖国ですが、そこには、大韓帝国の皇太孫として、向か入れられる場所もなく、皇族としての生活を保障するような仕組みはありませんでした。

それでも、李方子妃は、福祉事業に貢献したいという李垠殿下の意思を引き継ぎ、知的障害児、肢体不自由児などの障害児教育に邁進し、韓国初の障害福祉施設となる 社会福祉法人『明暉園』を創設されました。李垠殿下の雅号である『明暉』をとって命名されました。

1970年に 李垠殿下が逝去された翌年、李方子妃は 知的障害者のための教育を目的とした「慈恵学校」を設立されました。

李玖殿下は、大韓帝国の最後の皇太孫として、李垠殿下が担っておられた朝鮮王朝・大韓帝国の祭事を担われました。長い間、日本に住まわれ、大学は、アメリカに留学された李玖殿下にとって、祭事を担われるということは、とても難しいことであったと思いますが、李方子妃から、全州李氏の方々と良い関係性を持つようにと願われ、期待に応えようと努力されました。

李方子妃が亡くなった後も、両親が願われた両国の懸け橋になるために尽力されました。特に、李方子妃が出られた家である梨本宮家と縁を持つことにより、梨本宮家と共に朝鮮半島の平和に貢献されました。

李玖殿下は、生涯を通し、大韓帝国皇族と日本の皇族が仲良くなれるように努めてこられました。その思いは、生前の李玖殿下と一緒に活動された梨本宮記念財団の方々の思いの中に見ることができました。

これからは、李玖殿下が成し遂げたかった大韓帝国の皇族と、日本の皇族の和解だけでなく、大韓帝国と日本帝国が共に発展しようと約束した約束を守ることができるように貢献できれば幸いです。

具体的な取り組みは、愛と許しで、苦難な過去を乗り越え、新しい時代を切り拓く者たちが力を合わせてが推進していくことを目指しております。

是非、皆様と共に、李垠・李方子妃の結婚を祝う中で、ご両親の思いを引き継いで、両国の和解と平和のために努力された李玖殿下の思いを引き継いでいければ幸いです。

式典の詳細に関しては、著名人のブログがありますので、紹介します。

李垠殿下・李方子妃 ご成婚100周年記念式典

李垠殿下・李方子妃御成婚100周年記念式典

また、新聞の記事もありますので、紹介します。

李垠・方子両殿下のご成婚100周年を祝う

今後とも、梨本隆夫代表理事が、日本と朝鮮半島が平和な地域になる取り組みのを支援させて頂けることに心から感謝しながら、全身全霊でお役目をはたして参りたいと存じます。

投稿者: truelove2020

恩讐を愛する真の愛で、真の家庭を築くために日々、努力しています。幸せな家庭、幸せな人生を少しでもサポートできれば幸いです。

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